浄心院

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浄心院(じょうしんいん、? - 天文19年9月14日1550年10月23日))は、戦国時代女性後北条氏の一族。父は北条氏綱。兄か弟に北条氏康がいる。太田資高に嫁いだ。

生涯[編集]

北条氏綱の娘で、扇谷上杉氏に仕えていた太田資高が大永4年(1524年)1月13日に氏綱に内応して、氏綱の江戸城攻略に貢献したことから、氏綱から娘の浄心院を正室として与えられた。これは太田氏が江戸地域における最大の領主で知行高は2000貫文余に及んだことも考慮されていると見られている[1]

資高との間には享禄4年(1531年)に次男の康資が生まれている[1]

資高は天文16年(1547年)7月24日に死去した。資高には別の女性との間に長男・景資がいたが、浄心院と恐らく氏康の力もあって、家督は次男の康資が継承している。浄心院は夫の死から3年後の天文19年(1550年)9月14日に死去した。法名は浄心院日海比丘尼[2]

脚注[編集]

  1. a b 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P38
  2. 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P39

参考文献[編集]